松本へ

 中央線のいいところは、高尾と東京を往復するオレンジの列車に混じって、線路のずっと先まで行く列車が走っているところ。いつもは通勤や買物に使うだけの列車だが、小さな旅にも使えるという自由がある。
 午後6時過ぎ、きれいになった駅構内のお店で、缶ビール、缶ワイン(!)、鳥の唐揚げ、握り寿司、ポテトチップス、チョコレート、チーズなどを買い込み、いつもは立読みしかしないような雑誌も買い、ホームに降りて列車を待つ。 西行きの特急列車が時間通りにやってきた。乗り込んで荷物を棚に載せ、後ろの席の乗客にひとこと断わってから座席を少し傾ける。日が暮れてしまったので車窓の景色ももう見えない。買い込んだ飲食物を気ままに口に入れながら、仕事の話、小さいときの自分の話などをする。酒が神経を緩やかにしてゆく。昔は酒が神経を緩ませるのに対抗して、いくら飲んでも平常心を保つことが美徳だと思っていたが、もうそんなことはなくなってしまった。
 列車は、大月を通過。ここから行ける河口湖・山中湖は中高の部活、大学のサークルで何度も合宿した。小淵沢を通過。家族でよくスキーに来たからか、時々意味もなく行きたくなるところ。ほうとう弁当は今も売っているだろうか。
 午後9時過ぎ、列車は終点の松本に到着。林檎の被り物をしている緑色の熊が出迎える。東京より少し寒い。改札を出てすぐにスタバがあったので、コーヒーを買った。宿までは距離があるのでタクシーを使おうかと思ったが、まだバスが走っていることが分かった。バスセンターはスーパーと併設されていて、おみやげや本などが手に入る。観光客と地元の若者たちに混じってバスに乗り、松本城近くの中心部まで行った。
 バス停を降りるとすぐにホテル。倉敷で泊ったところに似た、古さを逆手にとったホテル。なぜか大浴場もある。荷物を置き、夜の街を散歩にでかける。
 ホテルの前には立ち飲み酒場。とても安くて有名らしいが、10時で終わってしまい、入るタイミングを逸した。隣には90年近くやっているパン屋さん。ここも土日祝日が休みで縁がなかった。夜10時なのにも関わらず、店の奥には明かりがついており、クラシック音楽が鳴っていた。
 市内を流れる女鳥羽川沿いには、和洋の飲み屋がいくつか開いていた。まばらに人が出歩いている。紫や青の薄明かりが差し込む路地の入口に「彗星倶楽部」と書かれた扉の店があった。隣では遅くまでのれんを掲げたうどん屋もあった。
 結局バスで通りかかった通りで見つけたアイリッシュパブに入り、1パイントのビールを飲み、キューピーイタリアンテイスティドレッシングであろう味のついたサラダとビーフジャーキーを食べた。隣りの席はドイツ人の二人組だった。
 三連休の初日だから明日も明後日も休み、そんな明るい未来に満ちた夜に、かつての城下町にひしめく店を見ながら、川沿いの道を歩いている。せっかく旅先にいるのに、きっと明日はチェックアウトぎりぎりまで寝ているのだろう。今年はさんざん海外に行ったが、あまりの物珍しさにあちこち行き過ぎた。それに比べて、いまのこの時間は、この上なく贅沢なひとときだと感じた。30歳になって動物的力が喪われていく一方、残る人生の使い方くらいは少しずつ学んでいるのかもしれない。何も得ず、ただ余韻だけが、半月経った今でも消えずにいる。