トムヤムラーメン

 秋学期最後の期末試験の朝、不意に友人の訃報を受ける。試験のプレッシャーと相まって、実感が沸かないまま必要な連絡をし、頭が整理できないまま試験に臨んだ。三時間半の間、持ち込んだノートパソコンに思いついたフレーズや判例や教科書の記載を少しアレンジした英文を打ち込んだ。終了後、友人たちと試験の手応えや冬休みの予定などについて雑談し、帰宅した。一足先に休みに入っていた妻が作ってくれたラザニアを食べ、試験中は断っていた久々の赤ワインで乾杯した。気がつくといつも使っている書き味のよいボールペンが見つからない。試験場に持って行ったのは覚えているが、どこを探しても家にない。翌日試験場に戻って探しても、事務掛に尋ねても結局見つからなかった。
 同じ年とは思えない豊富な「文化」を彼は持っていた。彼に連れていかれた店で食べたトムヤムラーメンは、ラーメンといえばサッポロ一番みそラーメンという田舎生まれの中学生には理解できない刺激的な味だった。魯肉飯も、生きた蛸の刺身も、本当のジンギスカンも、ひつじのたたきも、彼に教わった新しい味覚だった。彼のうちに遊びに行ったこともある。天井まで積み上がった本やその他。シーケンサスコットランドヤード、およそ私が訪ねたことのある一般的ご家庭からはかけ離れたように見える住居で、彼は育ったのだと納得した。「文化」の豊かさを体現する彼が高校の文化祭実行委員長を務めたことも当然の成り行きのように思われた。閉会式で彼が各部門の責任者に感謝状を手渡しながら、大きな、はっきりとした、とても心のこもった感謝の言葉をひとりひとりに伝えていたのを印象深く覚えている。彼がそのような素直な気持ちを、率直に表現したのは珍しかったからだ。人の本音を知りたがる私にとっては、あの光景が彼の気質を推察する鍵だった。
 大学に進んでからは、数ヶ月に一度会ってはあいかわらず新しい味覚を教えてくれる場所に連れていってもらったりしていた。恒例の忘年会が開けるような居心地の良い店を教えてくれたのも彼だ。少しずつ皆が年を経ていくのをゆっくり共有する場としての忘年会は、永遠に続くように思っていた。それが不意にそうではないことを思い知る。私の経験の一部は確実に彼によって与えられてきたのに、これからはもう与えられることはなくなってしまった。とはいえ私は彼に魚をもらうのではなく、魚の釣り方を教わらなければいけない。自分の経験くらい自分で豊かにしなければいけない。しかし、彼の魚の釣り方をマスターできたとしても、彼がいなくなったことの寂しさは埋め合わせられないだろう。なぜ寂しいのだろうか。しみじみと寂しい。