寂しさと成長

モントリオールから戻って早5ヶ月。新しい住まいの周りには公園があり、銭湯があり、何より多くのラーメン屋がある。休みのたびに一軒ずつ試しているところ。ある日、そのうち一軒が突然の閉店。中年の夫婦がやっており、ほんの数日前に初訪問したばかりだった。つけ麺の大盛り無料だということで、頼んでいないのに勝手に大盛りになった。親切とおせっかいの真ん中のような接客だったが暖かみを感じていた。シャッターに貼られた紙には、急なことで、一人一人のお客さんにご挨拶したかったがそれも叶わないといった事が書かれていた。
孫の帰国を待っていてくれたかのように、祖父も昨月鬼籍に入った。よい時代に公務員人生を過ごした彼は、いつも笑っていた記憶がある。最後に会った時には意識があったがもう言葉を発することはなかった。ただ手を握りしめて、無事に留学を終えて帰国したこと、これまでの感謝の気持ちを伝えた。少し手を握る力が強くなった気がした。しばらく祖父と目をじっと見つめ合った。それから一月もしないうちに祖父は亡くなった。葬儀では安芸門徒の例にもれず「白骨の御文」が読み上げられる。朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。父方の祖父母が亡くなった時に比べて、沸き起こる悲しみが少ないことに気づいていた。少しずつ、外界の変化に自分が耐えられるように成長したとも言えるし、ただ感覚が鈍くなっただけとも言える。火葬後、骨壺からこぼれ落ちたかけらを拾い上げてまた口に入れた。
留学前と同じ部署に復帰した職場で人事の発表があり、年度末での退職者が示された。まだ若い人が幾人か卒業していく。もともと学界などへの転身が多い職場である。才能と実績をもって新たな道を歩む同世代を見ると動揺するし、別れの寂しさもある。しかしここでもその感覚は、以前より薄まったように思う。別れは悲しいものだが、別れは尽きないものだ。悲しさは尽きないものなのだ。
TEDでストレスは身体に影響を与えるが、それが悪影響ばかりというわけでもないという話を聞いた。悲しさは、私に何をさせようとしているのだろうか。まだ小さいときは悲しさに立ちすくみ、途方に暮れるだけだったが今は違う。お腹に力がこもり、鼓動が早くなる。顔も紅潮する。それは、平静を取り戻そうとして否定すべき身体の反応ではないのだ、ということだと理解した。
そんなことを考えて下赤塚の街を歩くと、課題に追われつつ興奮状態で過ごしたモントリオールに居たときの感覚が蘇った。少しは成長していたのだなと、実感した。